どこだって幸せに生きられる

February 27, 2018

人生には「こうあるべきだ」「こうに違いない」ということは、

実はほとんどないと思っていて、

その中に「自然の中に生きる方が、都会に住んでいる人よりも幸せだ」ということがある。

 

 

私はそういう説を聞くたびに、心の中から「そうかな〜?」という声が出てくる。

 

もちろん、発信している人は「絶対に自然の中がいいに決まっているから、そうしろ」と

云っているわけでもないことは重々承知している。

 

ただ、都会に住んで(出たり入ったりの期間もあれど)、自然と都会の何かを比べ

「ここがダメ、あそこもダメ」と否定したりすること自体が「自然の中が一番だ」という

枠を作っていることになるとも言えると思うんだよね。

 

 

幸せというのは、個々の中から生まれてくるものだから、どこに住んでいても

本来は幸せになれる。自分の視点と価値観、そして本音が形作るものだから。

 

 

かくいう私も、10年ほどまでは日本をめちゃめちゃ否定していた1人です。

自然が東京よりも多いであろうオーストラリアに単身渡豪したのも、その時期で、

日本に帰ってきたときに、成田から都心部に向かう電車の中、わざわざ空港に迎えに来てくれた

友人に向かって、どれほど日本がダメなのか、どれほど嫌なのかを人目憚らずとうとうと

語っていた。その時の友人からしたら「もう〜やめて〜〜〜!!!」という心境だっただろう。

 

 

でもね、自分の中の自分の気持ちに向き合い、自分の求めるもの、与えられ手にできているものを知り、感じ、在り方と生き方を自分に問う中で、「日本、都会、ダメ」という概念が消えたのです。

 

 

自然とは、自分自身のことでもあります。自然とは、小さな日常のそこかしこに、常にあります。

あなたの隣にも、私の隣にも。 都会を照らす、燦々と輝く太陽、ビルの隙間に見える真っ青な空。

時折聞こえる鳥のさえずり、目に飛び込む緑、道路脇の植え込み、街路樹。飼い主と嬉しそうに歩く

犬たち。

 

 

人工建造物に囲まれた都会の中で、自然との営みと、自然との関わりで培う幸せ。

それが、「都会的ハイブリッドな幸せ生活」と言えるんじゃないのか?と私は思うのです。

 

 

これから世界がどう変わっていっても、もしかしたら大自然のお膝元で暮らせない人だって

出てくるだろうと思う。でも、それは不幸なことでも、悲しいことでもなんでもない。

だって、私たちはどちらも選択できるから。

 

 

「私には選択肢はない」と思う人がいるとしたら、それはその人の考え方と視点によるもの。

そして、残念ながらそうではない。自然の中で生きようと、都会の中で暮らそうと、どちらも

簡単に選べるのです。

 

 

まとめると、どこに暮らしていようと、幸せを感じて生きられる人はいる。

それは自分の在りようだから。

 

 

だから、自分が山の中に住んでいなくても、海から遠いところに住んでいようと、

それを否定する必要もないし、誰かの価値観に煽られて焦りを感じる必要もないということ。

 

 

私は、このハイブリッド生活を当分続けるつもり。

家の屋上に出れば、まあまあ広い空も見られる。鳥も飛んでいるし、

夜には星空や月が頭上できらめき、昼間には太陽がキラキラと輝く。

夏には、屋上で夏野菜を育て、収穫と恵の喜びを家族とだって、友達とだって

分かち合うことができる。

 

 

私は、都会とかけがえない自然とのハイブリッド人生を当分続けていく。

ここで、自分を見失い、自分がわからず、誰も彼もの価値観で生きている人が

どこに行って、どんな生き方をしようと幸せを感じられるようにってもらえるように、

私はこの都会を選んで生きているのだから。

 

 

 

自分軸スペシャリスト

中島 未来

 

 

 

 

 

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