• 中島未来

トイレの花子さん(実話)

小学校6年生のくらいの時のことです。


いつから、どこから ともなく、

「トイレに花子さんの霊が出る」ということが話題になりました。


トイレの花子さん話は、子供向けの雑誌や本にも多種多様な内容で書かれていて、

友達との間でも「1階体育館近くのトイレでは血の水が流れる」とか、

「トイレから出られなくなる」などの噂が花盛りでした。


ある日のお昼過ぎ、クラスの友達から

「今日の帰りに、トイレで花子さんを呼んでみようよ」と誘われ、

総勢10人くらいのクラスメイトが残ったように記憶しています。


そして放課後。

その日の放課後はまだ暖かくて、記憶を辿ると秋の初めくらいだったように

薄ら覚えています。教室から廊下の角を曲がったところにある、少し大きめの

女子トイレにみんなでワイワイと向かいました。


そのトイレは、東側方向に校庭に向いた窓があり、左には水道が3つに鏡が3つ、

一番左端にはモップを洗う用の深めの水道シンク、窓に向かって個室が3つくらい、

右側には個室が5つほど並んでいたように思います。


入り口扉は開戸で、胸の高さから上には磨りガラスをはめた窓。

いつもは何の変哲も感じない扉が、なんとなく異彩を放っています。

トイレの前の廊下には西日が思いのほか陽が射し込み、トイレの扉がはまっている

校舎の壁まで明るく照らしています。


まず、1組目のグループがトイレに入っていきます。人数は4人だったと記憶しています。

トイレの中で実際に行っている行動や声は、扉のこちら側からでは窺い知ることは出来ません。残った私たちは扉の両側に分かれて、次に起こる「何か」を今か今かと待っていました。


数分後、第一グループの面々がゾロゾロと出てきました。

「どうだった?」「何も起こらなかったー」

「じゃあ、次は誰と誰が入る?」

そこで、我こそはと第二グループが入って行きます。そして、そのメンバーに

私自身も加わっていました。


2回目のグループは全部で4人。

後ろ手に扉が閉まり、トイレ全体に静寂が満ちて行きます。

みんな、いつもと違ってなんとなく真剣な面持ち。

そこで「どうやってやるんだっけ?」と確認が始まりました。


トイレの花子さんの呼び出し方というか、呼び掛け方は色々あります。

私たちがこの時試したものは、全員で手を繋いで輪になり、籠目カゴメのように

ゆっくりと「三べん回って花子さんー」と三回歌いながら、三回ぐるりと

回るという方法でした。


「三べん回ってはーなこさーん」1周目、何も起こりません。

2回目、変化はありません。

3周目の「三べん回ってはーなこさーん」と回り終えた時、

私は扉を背に、左右の手を繋いでいる2人の友人は壁際のトイレ個室の前に、

そして向かいに立つ友人は校庭に面した窓に背を向け立っていました。


手を繋いだまま、私たちは耳を澄ませます。花子さんの声が聞こえたとしたら

聞き逃さないように。何も聞こえません。どの個室の水も、勝手に流れたりしません。

そのままじっと、立ち尽くしていました。



「やっぱり何も起こらないね」「そうだね、やっぱり起こらなかったー」

諦めた私たちがトイレの外に出ようと、扉の方に振り向いた時でした。


「!!!!!」 扉にはまる白い磨りガラスの中に、くっきりと強いオレンジ色の人の輪郭が浮き出ていました。一瞬の間を置いて「キャー!!!!」と全員が叫ぶと同時に、 本当は向かいたくない扉へ走り寄り、乱暴に押し開けて転がり出るように廊下に逃れました。


扉の左右、両脇では、初めに入ったグループの友人たちが固唾を飲んで見守っていました。転がり出てきた私たちに驚いて皆飛び退いています。


「何?どうしたの?何があったの??」 扉のこちら側で待っていた仲間たちが口々に聞いてきます。

「今、この扉の前に誰か立ってた?」 「え?えっと、誰も立ってないよ。だって、いきなり出てきたら危ないじゃん」 「そうか、そうだよね・・・」 「ねえ、何があったの?出たの?花子さん?」 「・・・・・・」


その時、私は彼らにどう説明したのか覚えていません。きっと、一緒に入った友達が説明してくれたと思います。どう家に帰ったのかも覚えていないのですが、あの扉の磨りガラスにしっかりとはまり込んでいたオレンジ色の人の輪郭だけは、脳裏に焼きついていました。



それから二度と「トイレの花子さん」を試すことはなく、私たちは卒業して行きました。

卒業後1年ほど経ったある日、たまたま学校を訪ねることがありました。 その時、校庭でトイレの花子さんを一緒に行った友達と再会したのです。

校庭の鉄棒にゆらゆらと寄り掛かりながら始めはたわいも無い話をしていたのですが、

私はあの日、自分が目にしたはずの「オレンジ色の人型」のことが気になっていました。

くっきりと脳裏に残る情景があの日の体験を現しているはずなのに、時が経つにつれ、

「あの時の出来事は、私の勘違いだろうか」と不確かな残像としてゆらゆらと薄らいでいくようでした。私は勇気を出して、彼女に聞いてみることにしました。

「ねえ、あの日のこと覚えてる?ほら、トイレの花子さんをみんなで試した日のこと」

「うん、覚えてるよ。」



怖かったねとか、焦ったよねとか、他には何も言葉を彼女は述べないのだけど、

「うん、覚えてる」という、その一言で私は変に安堵するとともに、またあの日の出来事が

自分の中で命を持ち始めたように感じていました。

やっぱりあの日みたものは勘違いでも思い込みでも見間違えでもなかった。

一緒に入った友達には、同じく見えていたのです。

磨りガラスに写った輪郭を「きっと誰かが立っていたんだよ」と言う人もいると思います。

でも、子供ながらにして当時、実態を持つ何かが磨りガラスの前に立った場合、その影は黒く映るはずで、近づきようによっては、髪の毛や表情が薄らとこちらに見えるかも知れないと頭の中で検証をしていました。でもあの時の「それ」は、まるで光そのもののように、混じり気の無い強く鮮明な「オレンジ色の影」だったのです。

扉の磨りガラスは、午後の強い西日に照らされていました。そこに人が立っていたとしたら、やはり黒っぽい影として映るはずなのです。

子供達の期待と恐怖と語り継がれる怪談話が、あの時、あの瞬間に、 こちらの世界と向こうの世界をつなげてしまったのかも知れません。

もう今では、誰とあのトイレに入ったのかすら思い出せないのだけど、

脳裏に焼きついたオレンジ色の輪郭は、この先もずっと忘れられない小学校の体験として私の中に残るはずです。あの学校のトイレには、まだ花子さんが居て、生徒と共存をしているのでしょうか。何年も、何年も。そしてこれからも。