• 中島未来

あなたの辞書に「失敗」はありますか?


「自分の過去を認めない」ことは、

現在の自分にとって、また、

自分を取り巻く人間関係や環境に関して

大きな影響力を持っています。

でも、過去に限らず、あらゆることに影響を与えているのは

「自分が見たくない、認めたくない自分」であり、

それはまだ現在形で残っている考え方でもあります。

自分を認めていないとは、どんな状況なのか?

「なぜ、彼と喧嘩したあの時、

あんなこと言ったんだろ。

あんなこと言わなかったら

別れなくて済んだのかも」とか、

「もっと勉強を頑張っていたら、

違う職業に就けたかも知れない、

自分の人生はもっと良い方向に向かったかも」とか、


「私に何か足りないことがあったから、

夫が浮気したのかも」とか、

「私の育て方が間違っていたから、

子供がダメになったんだ」とか、

こんな感じです。

十人十色にまだまだ色々あると思います。

現在に影響を与えている「間違った選択肢」や、

「間違った言動」や、「間違った判断」を

人生の失敗だと思っています。



失敗を犯した過去の自分・・・認められない 失敗した自分。


過去の自分を認めないということは、

「現在の自分も認めていない」ということに

なります。

認めたくない部分を現在形で持っているからです。

現在の自分が、いくら何かを達成しても、

何かを確立しても、

「でも、あの時の自分はダメだったもんね」と、

過去の自分がダメ出しをします。

もしくは、

過去の自分の経験が邪魔をして、

何かに挑戦出来ず、

諦めてしまうことが習慣になってしまう。

例えば、出来事全てがそれぞれ本になっていると

想像してみてください。

「数学の模試で学年一番をとった成功本」

「好きな相手に告白されて、付き合った幸せ本」

などの「認めるべき好ましい自分本特集」があるのと

同時に、

その本棚の端っこに、

「第一志望校の入れなかったダメな失敗自分本」が

並べられていて、その本はまず間違いなく

「自分から好んで開く本」にはなりません。

時として、その本を思い出させる出来事が起こると

嫌々その本を開くことになり

「そうそう、この時の自分はダメな自分」と

苦い思いと体感を再度認識して、本は棚に戻される。

本棚全体が「自分自身」だとすると、

本棚の中に、「認めている本」と

「認めていない本」が並んでいて、

認めていない本もしっかりと残っている訳です。

この本棚のラインナップは、

今もそのままになっているはずです。

だから、過去の自分を否定していると、

現在の自分にも「否定」そのものが残っているのです。

自分の今までの経験を元に、

たくさんの人の経験話を聞いていると、

あるひとつの事実に行き当たりました。

それは、『人生を自分なりに満足して生きている人は

共通して「自分の全てを認めている」』ということです。

過去の経験を憂いていたり、

過去の経験を未来の恐怖に感じたりせず、

自分自身が自分の最高の相棒として

日々を過ごしています。

私自身も思い起こせば、

過去には本当に沢山のことがありました。


人が聞いたら驚くこと、ドン引きすること、

嫌悪することなど、

色々なことを経験しました。もちろん、

それは自己責任というベースでの自分自身の

選択であり行動です。

結果、経験のうちの数々を

自分の失敗トロフィーとして、

自分棚に押しやっていました。

奥の方に、隅の方に、

光の当たらない方に。

でもそのトロフィーは隠せば隠すほど、

薄暗い中で存在感を増し、

埃をかぶることもなく、

圧倒的な存在感で

その場に鎮座しているのです。

以前は、

そのトロフィーのひとつひとつを思い出し、

手に取っては昔の恥ずかしさ、

悲しさ、悔しさに

当時と同じように感じて身悶えしていました。

そして、そんな知られたくない過去の傷を

人に悟られないように、

自分をも欺くように、

違う自分を創り上げよう、

そしてそのフェイクの自分を

真実の自分と信じ込もうとしていました。

でも、そんなことをする必要もなく、

そんなことは到底できっこないんですね。

自分の過去は

その時の精一杯であり、

どんな判断やどんな選択をしていようと、

その時の自分は一生懸命であり、

その時があるから、今がある。

どんな経験をしていようと、

それは、様々な感情を味わい

自分の成長のための出来事であり、

自分自身が「本当に生きたい自分」の姿を

思い出すために必要なことだったのです。

自分がその時に

どんな気持ちで、どれほど努力していたのか、

どれほど頑張っていたのかは、

自分自身が一番よく知っている筈です。

親が自分のことを「自分以上に分かっている」とか、

大人は子供のことをよく分かっているとか言うのを

耳にすることがありますが、

それはある種の幻想に過ぎません。

自分のことを知らないという現実は

年齢も性別も関係ありません。逆は真なりで、

大人の方が自分のことを全く知らなかったり

理解してなかったりします。

私の人生には「失敗」という項目は存在しません。

私以外の人の人生にも「失敗」という項目は

存在しないと思っています。



出来事に付随して起こったことであり、

自分の成長に加算できる、「学び」というチャンスです。


人生に深みを加算する、素晴らしい出来事です。

あなたの本棚の隅っこに置かれている

「自分を認めない本シリーズ」は、まだ失敗を集めた作品ですか?

自分が望まなかった人生の「結果」を認めることは出来ますか?